軽井沢別荘建築の四季 #2

9月の軽井沢

2019.09.26

 気がつけば九月。緑葉がおおらかに広がってから、多彩に色づき始める今日までは、家族や友人との再会をはじめ、色々な対話があり、それぞれの言葉と表情が、秋の月夜とともに記憶を流れていく。
 先日、ある文学作家と老舗本屋の店主との談義に立ち会える機会に恵まれた。「今、本を読むということは?」という問いから始まり、「読むということは書くことであり、書くということは読むことではないだろうか」という作家のひと言に、本屋の店主が「私たち読者というものは、作者が記した言葉を巡り、自らその世界を空想・想像しながら、物語を描いている。つまり、読者も作者なのだ」と言う。さらに店主は、お酒もまわり熱を込めて続ける。「本の表紙のことを『扉』と言うでしょ? だから、人は、本じゃなくてはダメなんだ」と。
 「扉を開く」という言葉が、そこはかとなく私の意識に留まった。あらゆるものごとを便利に選択できる豊かさを獲得した現代で、扉は自ずとむこうからやって来る。一方で、扉を自ら開くことは容易ではなくなっているのかもしれないと、反芻する。
 そんな心もちで、〈軽井沢タリアセン〉にある〈レーモンド 夏の家〉を訪れると、ただひとり自然と向き合うための空間が、おごそかにしつらえてあることに、森に暮らす意味を教えられる。そしてそこには、自然に敬意を払い建築してきた先人たちの、軽井沢の軌跡がうかがえる。そして、今一度、森の木となるように本の扉を開くように、森との対峙に五感を委ねることが、私たちの暮らしに問われていることに、気づかされるのでした。