軽井沢別荘建築の本棚04「A・レーモンドの住宅物語」三沢浩

2019.07.25

モリノイエ軽井沢 編集室

表参道と軽井沢のアトリエで、別荘や住宅の建築設計を中心に活動する私たち〈モリノイエ軽井沢〉は、“都会暮らし、森暮らし。”という新しい日本の暮らし文化をつくることを大切に、連載「軽井沢別荘建築の本棚」で、軽井沢にゆかりのある建築家やその作品、また活動の歴史などを記録した本を紹介していきます。

04「A・レーモンドの住宅物語」
 
三沢浩
建築資料研究社(1999)

軽井沢の父として知られているカナダ人宣教師のA・C・ショー。彼と同時代を生きた二人の建築家が、〈軽井沢ユニオン教会〉や朝吹登水子の別荘〈睡鳩荘〉などを手がけたウィリアム・メレル・ヴォーリズと、〈軽井沢 夏の家 兼 アトリエ〉や〈帝国ホテル〉のちに〈軽井沢山荘〉を建てた吉村順三に多大なる影響を与えたアントニン・レーモンドです。
 
ウィリアム・メレル・ヴォーリズについては、「軽井沢別荘建築の本棚03」にて詳しく紹介していますが、本書はアントニン・レーモンドの歴代の作品を年代ごとに編集し、それぞれの時代における建築観のうつろいを解説しています。
 
チェコに生まれたアントニン・レーモンドは、プラハ工科大学で建築を学び、卒業後の1910年にアメリカへ移住。1916年にはフランク・ロイド・ライトの事務所に入所するも、わずか2年後の1918年に第一次世界大戦が始まり、アメリカ軍から徴兵され、一時的にライトの事務所を離れることになりました。そして、大戦終了後の1919年に、〈帝国ホテル〉建設における設計施工の助手として、フランク・ロイド・ライトとともに来日を果たします。以後、合掌造りなど日本の伝統建築に『モダニズム建築』の原石を見出し、日本の近代建築を深く掘り下げていくことになります。そして第二次世界大戦中にはアメリカと日本を往来し、終戦を迎えてからもなお、日本での建築活動に精励。葉山や軽井沢の別荘および山荘や、所員たちのスタジオ(事務所)を計画し、さらに日本の地域性と環境とを合体した自然とともにある近代建築を確立。“レーモンド・スタイル”とも呼ばれる真の日本のモダニズム建築を開花させることになりました。
 
そんな功績の背景で、レーモンドが避暑地としての軽井沢に人生の余白を委ねたことが、いかに彼の創作に感性を注いだかを物語る考察があります。
 
「レーモンドは自分の別荘を愛宕山に持ち、避暑に訪れていた。ではアトリエを兼ねた〈夏の家〉を新たに立てたのは何故か。田邊(博司、当時レーモンド事務所社長)、宍戸実(『軽井沢別荘史』 著者)両氏は同じような考えを披露した。『施主に対するアピール、宣伝効果を狙ったものだ』と。
しかし、それは少々違う。レーモンドは夏冬に合わせて別荘に通い、週末にはそこでゆっくり絵を描き、精神的な余裕を蓄えるのが好きだったのである。もっと大切な理由は、自邸づくりは建主が自分だから設計はまったく自由であり、形の表現と持っている思想を充分に発揮できたからだ。戦前は『雲南坂』、戦後の『葉山』『笄町(こうがいちょう:東京都港区麻布にあった町)』の各自邸、そして一二辺形の『新スタジオ』のすべてが彼の表現の転換期に当たるのは、自らの思想を『自邸』という建築的表現に置き換えていた証拠である。
その意味でも、『夏の家』は、その言葉のままに夏の山荘であり、避暑地におけるアトリエであった。1933年の時点で到達していた、木造住宅のほぼすべてのエッセンスを持っていたといえる。この家以後、更に考え方が深く環境への共存と、気象と場所への同化、そして戦前における木造住宅による『モダニズム建築』に近づく。そしてかつ、『軽井沢式』と呼ぶひとつの形式をつくり、さらに戦後に至って『レーモンド・スタイル』という梁・柱あらわしの、素朴な表現へと進めていったのがわかる(p.134-135)」
 
こうして、レーモンドは次第に、モダニズムを追求した師・ライトの建築的感性を編み直し、自らの新境地を築いていきます。とくに自然と調和した『レーモンド・スタイル』を代表する、軽井沢〈夏の家〉は、1933年から1937年にかけて、所員たちの合宿所であり創作の場として在り続け、今では〈軽井沢タリアセン〉に移築され、後世に引き継がれるに至りました。
 
ちなみに、〈夏の家〉は、スイス生まれの建築家のル・コルビジェの代表作〈メゾン・ド・エラズリス邸〉の盗作であるとする声もありますが、友好的な手紙のやりとりを通して、互いの建築にかける考え方への和解を経ていたことが、本書では明示されています。
 
そのほか、杉板の横羽目張りで、片流れ屋根に唐松の枯れ枝を乗せ、床材と雑作材には杉板、家具は檜材で大工の手で製作する『軽井沢式』とも呼ばれているレーモンドのデザインスタイルを注いだ〈軽井沢の足立別邸〉や〈岡別邸〉、〈小寺別邸〉、戦後のコンクリート造の建築設計や木造によるモダニズム建築などによって、自身の中での建築にかける理論闘争を繰り広げていった軌跡も物語られています。
 
戦前と戦後の日本で自らの建築を追求したレーモンド。西欧の様式を一方的に組み入れるのではなく、軽井沢の自然の恵みを享受したモダニズム建築に、真の日本の住宅を編み出していきました。そんな建築へのまなざしは、深く地の風と土を読むことからはじまり、レーモンドを師事した吉村順三が自身の生涯を振り返り「火と水と木の詩」と題する書を残したように、自然との対話の経験に基づく知性と感性こそが、建築設計の基本であることを改めて気づかせてくれます。そして、この軽井沢という地で築く木造建築のすばらしさを証明していることから、今一度、軽井沢の森に五感を研ぎ澄ませることに、建築設計の重きを置きたいと考えさせられるのでした。

1930
〈聖パウロカトリック教会〉
長野県北佐久郡軽井沢町 旧軽井沢179
https://goo.gl/maps/SxkFEL3F6nfwvito9
 
1933
〈夏の家〉
長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉塩沢217
軽井沢タリアセン
https://goo.gl/maps/sEBERJQagfoAeXvB6